ようこそ登録文化財へ 寺西家阿倍野 長屋・町家
築70年の長屋・町家を再生して、嬉しかったこと! *寿命ある建物を壊して、ゴミにしてしまわなかったこと *建築家、宮大工、恩師や友人、近隣の人達との和のつながりができたこと。
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【どっぷり昭和町】活動経過 第3回 平成20年(2008)4月29日
【どっぷり昭和町】活動経過

第3回 平成20年(2008)4月29日

・会場を長屋周辺から更に150m北上した小学校の講堂及び近くの児童公園をお借りして「点」から「線」拡げた。又、地元で活躍の関西で一番古く長い歴史の落語会を主宰している「田辺寄席世話人会」の協力を得て、落語家15人による前代未聞の大落語会が(桂文太、笑福亭呂竹、りんりん亭りん吉、笑福亭たま、桂米左、桂春駒、桂佐ん吉、笑福亭生喬、桂あやめ、林家染太、笑福亭仁昇、桂雀松、桂ちょうば、桂染左、菊池まどか〈浪曲〉)が、小学校と町家で開催された。

・そして、ライヴでは、(田中邦和jazz torio aka東京スカパラダイスオーケストラ、ドーベルマン、TATSUMI AKIRA and the LIMES、ぶっきら兄弟、ロックンタスケロール&ザキャプテンスゥイング、花岡献治aka憂歌団)の若者達が演奏され、多くの若者が集まった。
・児童公園では、「昭和あそび広場」として紙芝居、飴細工、切り絵などお年寄りや若者が子供達に昔の遊びを伝え、お年寄りや若者達と子供達との間に地域の和がつくられた。

・一方、学生達によるまちづくり研究の展示や伝統野菜の展示など多彩な催しがあった。

・昔懐かしいちんどん屋風に演奏しながら行進(ぶっきら兄弟、ロックンタスケロール&ザキャプテンスィング)なども昨年に続き行われた。

どっぷり昭和長屋
第3回 長屋の2階が舞台で通りに出店

【どっぷり昭和町】活動経過 第4回 平成21年(2009)4月29日
【どっぷり昭和町】活動経過

第4回 平成21年(2009)4月29日

・会場を長屋の「点」から「線」さらに「面」にと阿倍野区全域を目指して会場が16にまで拡大した。

・そして寺西家阿倍野長屋、四軒の二階両サイドにスピーカー設置し、その間の二軒の二階を舞台にし、私道から見上げて観る形式にした。それは、アートである長屋をよりよく見てもらう目的とアーティストが中に存在することにより長屋の窓枠が額縁になり、アート作品の完成と長屋が町中に発信するスピーカーとなり、まちのモニュメント化を狙ったものである。

・そこでは、日本の伝統芸能である能(阿倍野の能舞台で活躍する山中雅志)、雅楽(天地雅楽)、日本舞踊をはじめ、中国人による二胡(薫金明(ドンジンミン))、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロによるカルテット、ボサノバ、小西康晴によるDJ、ちんどん屋(ちんどん通信社)、ロックンタスケロール&ザキャプテンスィングなどあらゆるジャンルの伝統文化と現代文化との融合が図られたものであった。そして伝統文化の継承のキッカケとしてのパフォーマンスも紹介された。

・講演会では、井上理津子氏の「はじまりは大阪にあり」が講演され、それにちなんで昭和時代から活躍している企業のブースとしてグリコ、オルファカッターなどが、展示された。

・戦災を免れた阿倍野地域に残る「阿倍野の長屋町歩き」が、大学の教授達のリードのもとに行われ、我がまち発見いうことで、参加者から大いに喜ばれた。

・マンション建設予定地でのリサイクルマーケットの出店などもあり、大きく輪が拡がったといえる。
・又、「どっぷり昭和町」の前夜祭として、前日には、二胡の演奏会「二胡と中国茶の夕べ」が、南京大学海外教育学院招聘老師で中国音楽家協会の薫金明(ドンジンミン)氏により、町家で開催され、日中友好にも大きな役割を果たした。

・まちづくりの面では、私道上に200台を越す山積みの放置自転車があったが、「どっぷり昭和町」をきっかけに行政や警察の支援があり、花のある通りに生まれ変わった。このことを通じて町内会などと連携し、地域ぐるみで街を育てる機運が生まれつつある

山中能
第4回  地域での伝統芸 山中能
【どっぷり昭和町】活動経過 第5回 平成22年(2010)4月29日
【どっぷり昭和町】活動経過

第5回 平成22年(2010)4月29日

昨年度の活動に大きく二つのことが、付け加わった。
一つは、さらなる場所の拡大で、地域で伝統のある桃ケ池公園がお借りでき、「昭和の青空プロレス(紫焔)」をはじめ「チアリーダー(JUMPS)」「大道芸(むつごろう雑技団マジカル大道芸人:うーちゃん、たらちゃん、しょうちゃん、もも)」「カクテルショウ」などのイベント等に加え、フリーマーケットも出店した。
プロレス
第6回 桃ケ池公園でのプロレス
                      
もう一つは、「まちかど昭和写真展」の開催である。

これは、昭和の時代の写真を道の塀に貼り付けて昭和という時代を振り返ってみようという試みであった。押し入れなどに眠っている貴重な写真を提供してもらい、地域の移り変わりや生活の変化を知り、今の生活、今後の暮らしについて考えようというものであった。
短期間であったが、戦時中の写真、戦後のまちの移り変わり、台風の被害など百数十点の写真が寄せられ、年配の方からは、懐かしいそして若い人からは、はじめて知る感動の声が聞かれた。大切なことは、親から子へ、祖父母から孫へ地域での文化を引き継いでいくことと感じている。
写真館
寺西家の塀がまちかど昭和写真館

 また、苗代小学校での落語家15人(桂文太師匠等)による大落語会をはじめ、難波りんごさんの「阿倍野区の物語」講演などが、町家で行われた。
 長屋でもDJでは、小西康陽氏、JINやエレクトリック秘宝館のメンバー、ライブでは、ロックンタスケロール、タツミアキラ氏などそしてちんどん屋では、東西屋のメンバーが出演した。
 さらに草の根日中友好団体から南京大学からの薫金明(ドンジンミン)氏の二胡の演奏は2年目になる。
 阪南中公園の昭和の遊び広場では、飴細工、割り箸鉄砲、紙芝居、ぽん菓子、金魚すくいなどは、昭和を懐かしく感じさせ、子供たちの喜びの声がこだましていた。


【どっぷり昭和町】活動経過 第6回 平成23年(2011)4月29日
【どっぷり昭和町】活動経過

第6回 平成23年(2011)4月29日

 年々発展する「どっぷり昭和町」が、さらに発展し、行政との連携や阿倍野区商店会連合会に参加させていただくなど組織的にも充実させていただけるようになった。

 桃ケ池公園で阿倍野区長さんをはじめ、各議員さんや町会の代表の方に参加していただきオープニング・セレモニーが、開催された。このセレモニーは、「どっぷり昭和町」の開会だけでなく、以降、1か月にわたる「あべの祭り」の開会宣言でもあった。内容についても、より地域に密着したものとなり、オープニングでは、明浄学院および文の里中学の吹奏楽部による演奏や夢舞ing&夢舞っ子のダンス、それに地域の主婦の方々の手づくりクラフト展など地域の人達による催しがなされた。

それに、苗代小学校では、阿倍野区在住で、日本のシャンソン界を担っておられる奥田真祐美さんのシャンソンをはじめ住吉区の文化センターの協力で「銭太鼓」「ゴスペル」「民謡」「尺八」などが催された。
阪南中公園で、飛び入りで大阪市長 平松邦夫氏が、来られ、一緒に楽しまれた。

シャンソン歌手
第6回 苗代小シャンソン歌手奥田真祐美さん

平松市長
第6回 大阪市長も飛び入りで長屋へ


【どっぷり昭和町】活動経過 第7回 平成24年(2012)4月29日
【どっぷり昭和町】活動経過

第7回 平成24年(2012)4月29日

 大きな飛躍の年となった。
毎年、拡大を続けるなかで、新たに会場が桃山学院のご厚意でカンタベリーホールを提供していただけ「昭和町音楽祭」が開催できた。そのことで苗代小学校の講堂で児童等を対象とした「ダンボール遊園地」が開催でき、大好評であった。
又、昼間だけでなく、夕方からも地域で楽しんでいただこうと、初めて「昭和町バル」が開催され、当日、飲食店の前には長い行列ができた。
ダンスグループ
第6回 桃ケ池公園で地元のダンスグループ夢舞ing

昨年に続き、桃ケ池公園では、オープニングセレモニーが行われ、明浄学院の吹奏楽演奏、ゆるキャラ10体の集合で子供達の楽しい笑い声、恒例のプロレスの他、美勇士、来島けんじ等のライブなどを楽しんだ。その周囲では、昭和写真展、手づくりクラフト展、物産展を見て、買って、食べて楽しみ、大道芸やマジック等の芸に拍手を送り、投げ銭がなされた。           
クロスオーバー歌手
クロスオーバー歌手 小川響子(桃山学院)

桃山学院での「昭和町音楽祭」では、夢舞ingなど地域の団体、桃山学院から吹奏楽、ギタークラブ、聖歌隊の演奏があり、学校が地域に開放された姿であった。又、桃山学院の卒業生でクロスオーバー歌手の小川響子氏がニューヨークから特別参加、中国から菫金明氏が二胡の演奏、シャンソン歌手の奥田真祐美氏、三田裕子氏などプロのライブに喝采をおくった。

 阪南中公園での「昭和のあそび広場」は、阿倍野高校音楽部も参加し、昔遊びやステージショーなどで子どもから、大人まで楽しんでもらえた。
 苗代小学校の「ダンボール遊園地」では、巨大迷路、新聞プール等で小学生たちが、講堂せましと遊び回って楽しんだ。
ダンボール迷路
ダンボール巨大迷路(苗代小学校)

 寺西家では、伝統料理研究家の奥村彪生の講演会、写真による「昭和のくらし・戦争体験を超えて」が井原昌子氏の想いが大阪府立大学中村治教授の進行で語られた。そして、まち歩き探検隊が、大阪市立大学赤崎弘平元教授の「昭和のまちができたわけ」を学んだ。

昭和の日記事
4月28日毎日新聞に掲載された記事




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