ようこそ登録文化財へ 寺西家阿倍野 長屋・町家
築70年の長屋・町家を再生して、嬉しかったこと! *寿命ある建物を壊して、ゴミにしてしまわなかったこと *建築家、宮大工、恩師や友人、近隣の人達との和のつながりができたこと。
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3.長屋の修景工事
(1)外観の改修の動機

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築70年の長屋、しかも、借家として、それぞれの店子任せになってきていた。
 屋根の雨漏りでさえ、「家主の責任ですから、させて頂きますが、今の家賃では、何年も只家賃になりますので、世間並みの家賃にさせていただきたい。」というと「それでは、私の方でさせて頂きます。」ということになってきた。
 そのようなことで、外壁などは、ほとんど70年前の化粧であり、痛みもひどかった。特に、マンションに建替えねばということを考え始めてからは、当然のことながら、修理にお金を使うことは、無駄金そのものであった。
 しかし、平成15年9月21日に、登録文化財として、しかも長屋としては、全国で始めてという記事が、新聞にも載り、それなりに得意気の気分であったが、自宅の前で、カメラや携帯電話を長屋に向けて、パチリとされる人が、現れると、さすがに、薄暗く、痛んだ外装は、気が引けた。
 この長屋は、「本当は、もっと、美人なんだよ。」と声を上げたい気持ちにかられた。
 「少なくとも、痛んでいる塀や壁は、改修しなければ」と思いが強くなり、「そうしなければ、良いテナントさんもつかないであろう。」と思えた。
 改修しようと決心したが、すぐに、「どんな業者さんがいくらでしてくれるのか。」という壁にぶち当たった。




(2)改修業者を選ぶ

13-3-2建築工事を一括して請負う業者の数は、大阪府で約18,000社、大阪市で約6,000社あるという。阿倍野区だけでも約200社以上もある。この他にも大工さん、左官屋さん、屋根屋さん、電気屋さんなどの専門業者さんがおられる。これらの中から業者さんを選んで仕事をしてもらうことになる。
 今のいわゆる「トンカチ大工」といわれるノミやカンナそれに当然のこぎりも使えないような大工さんでは、このような改修工事は、むつかしいということは、容易に想像できた。
 また、逆に法隆寺などの文化財をを修理しているいわゆる宮大工さんでは、驚くほど高く付くと言われれば、当然のことのように思えた。しかも、そのようなところで見積りをとると、高いからと言って断れないような気がした。
 結局は、菅さんや私の友人で建築に携わっている者に聞いて、声をかけるということになった。 
 改修工事であり、しかも、改修したからと言ってそれを回収できる家賃を頂けるという保証はないので、1千万円もかけられない工事でもあると思われた。
できれば、近くで良心的な工務店が見つかればと考えていた。そうすれば、今後、ちょっとした修理でもすぐに跳んで来てくれるというメリットもあった。
 最初に、声をかけ、見積りをお願いした業者さんは、現況を見に来てくれたが、なかなか返事がなかった。そして、しばらくして、その工務店を閉鎖することになったと言う返事があり、今の厳しい時代背景に直面した。
 それで、近所の工務店を友達に紹介してもらい、見積りをしてもらった。今度は、1社で無く、お金のこともあるので、2社に対し見積もりをお願いしていたが、1社は、なかなか見積書が出てこず、1社だけの見積書のみとなった。そうすると、その金額が、妥当なのかどうか、ということの判断ができなかった。できれば、たとえ数万円でも安くできればということで、そのチェックを私の友人で建築の仕事をしている中学時代からの友人である瀬戸川君にお願いした。彼は、その見積書をいつも一緒に仕事をしている業者さんに、「その見積書を見てもらいチェックしてもらう」ということであった。
 すると、見積書をチェックするにも現場を見なければということで、日をおかず、下請けの業者さんも数人引き連れて来てくれた。
 見積書のチェックだけのつもりであったが、その姿勢と、その人柄に、妻が、非常に気にいったという。
聞くと、木造のお寺を建築しており、また、介護保険の関係で、手摺や段差解消の数万円の仕事もしている川人工ム店ということであった。
 早速、私は菅さんと瀬戸川君とで、川人工ム店が、現在、お寺を茨木市で建築中ということであったので、早速、車を走らせた。私も建築をかじってはいたが、お寺も漠然と見ていただけであったことに気づかされた。その現場で、垂木の1本1本の形態の違いなど意識もしていなかったことを、また、柱と庇を支える垂木の接合部の斗供の構造的役割なども教えていただいた。
 そのお寺を見、川人さんと話をするうちに、皆の気持ちが、この人に任せようという気になり、望んでいた宮大工の棟梁さんにめぐり合えたという喜びがあった。
 見積金額も、前の業者さんよりも、わずかではあるが、安く、言うことなしであった。
 しかし、その時には、この人の職人気質としての仕事の仕方にまで、思いが及んでいなかった。



     

(3)契約の締結

14-3-3業者さんも決まり、見積り金額もでていたが、現状を見ると、やはり、今の時期にもう少し手入れをしておいた方が、いいという箇所が出てきた。後で追加金額がでるのも厭なので、総額だけは、抑えておきたいと考えた。当初800万円であったが、約300万円追加して、1100万円で契約を結んだ。
 当初は、通りから見えるところの外壁の板塀や腰までの部分、屋根の補修や柱の補正や土台の取替えなどであったが、同じ修理するのならば、見えない部分であっても補修だけはしておいた方が、より長持ちをさせるためには、良いと思われたので、その部分の補修工事を追加した。
 後は、若干の追加は、仕方が無いとして、1200万円位であれば、一戸当りにすると300万円になるとふんでいた。一戸当たり家賃からの収入が10万円としても、単純に計算すれば、3年間で回収できることになる。
 契約書も簡単な文面となった。信頼関係とそれぞれの常識があれば、何十項目にわたる細かいことを、書かなくても良いのかも知れないと気づいた。
 改修内容も現況図面に気が付いたことを書き込んだものが中心となった。
 従って、どこの部分をどのような材料で補修するのかという建築工事にとっては、当たり前のことまで、記載できなかった。又、改修物は、「めくって見なければわからない。」ということがでてくるので、改修場所そのものの明細を積み上げることも、無駄なように思えたので、その時勝負ということになった。



(4)改修工事に着手して
① 屋根工事

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まず、屋根工事ということで、大屋根は、雨漏りがしていたわけではなかったが、下地の野地板が、一部朽ちていたり、垂木が傷んでいた。
 南側の住宅で、10数年ほど前に、退去された家を見に行くと、雨漏りがし、青空が見える状況であり、その上にブルーシートを敷かれたままになっていた。そこで、急遽、南半分の屋根は補修し、屋根瓦を、すべて取り替えていた。そして、天井をすべて張り替えた。この工事が、家主として行った、最大の工事であった。
 北半分は、当初のまま残っており、その瓦は、焼く温度が低く、焼き斑があったため、今の瓦のように同じ色で単調ということはなく、味わいが感じられた。
 瓦は、そのまま、残せないかと思ったが、職人さんが歩くと、割れたり欠けてしまうということであった。割れていない瓦だけ集め、通りから見える部分に葺くことにしたが、古い瓦と新しい瓦の収まりの都合や、今後、この建物を長持ちをさせるためには、全面的に取り替えたほうが、良いということになり、全面改修になった。それに、屋根の荷重を減らすこともあり、瓦の下の土を取り除き桟で瓦を留めた。
 そして、北面、南面の破風板も傷んでいるということで、取り替えられた。 
 改修した屋根を見て、南半分と北半分の改修の差が、目に付いた。今回の改修は、できるだけ当初の形に復元したいという思いを伝えていたので、棟瓦の高さが高く、又、袖瓦も復元されていた。そして、棟瓦や鬼瓦の留め方も、一枚一枚の瓦を銅の針金で留めているなど丁寧な仕事がしてあった。  
前回は、そこまで 要求もしなかったし、まず、そのような方法すら考えていなかった。
 その改修工事をするにも、とりあえず雨が、もらなければいいという姿勢で改修するのと、長期に利用する目的で修理するのとでは、その発注者としての姿勢が、工事の内容そのものに表れるものであると知った。



② 柱のジャッキアップ工事  

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 70年の歳月は、特に台所やお風呂場という水周りの土台の木を腐食させ、その結果、柱が数cm沈み込みこんでいた。そうすると窓枠がひしゃげて、窓が動かなくなっていた。この柱をジャッキアップして、元に戻し、土台を入れ替えるという。
概念で解っても具体にどうするのかということが、いくら聞いても理解できなかった。
 しかし、実際に、見てみると、そういうことかと理解できた。元の柱にボルト穴をあけ、その柱に添わして、新しい柱を立て、それらをボルトでつなぎ、両者を一体にする。そして垂直を図りながら、柱の高さを元の位置にもどす。そして、腐っている土台や柱の部分を切り取り、その部分に新しい木材で継ぎ足すものであった。
 新しい材は、すべて檜でしたということであった。




③ 電気メーターの移設とライトアップ工事 

23-3-4-3 電気の引込み線が、電柱から大屋根のところに取り付けられ、それから各戸に配電されており、入口には、電気のメーターが、取り付けられていた。
 特に、引込み線が、垂れ下がり見苦しかったので何とかならないものかと思い、    関西電力の方と打ち合わせをした。メーターの位置は、検針できれば、4軒まとめて同じ場所に、あってもいいということであった。そこで、引き込み線の位置を替え、北側住戸の路地の所の塀に集合メーターを取り付け、そこから各戸に引き込むことにした。
 そうすると、引き込みの電柱もかわり、引き込み柱の設置が必要となった。この引き込み柱も、檜で高さ6mほどの丸太を、地面にそのまま立てて、雰囲気を統一することにした。この丸太を掘立柱にしたのでは、すぐに腐らないかという心配をしたが、「コンクリートで根巻きをする方が、すぐに腐る」ということで、私の常識とは違っていた。
「掘立柱にすると、木が地面の中で息ができるので、長持ちする」ということであった。
 伊勢神宮は、20年ごとに遷宮し、建替えられているのは、掘立柱であるためであるという。この掘立柱は20年後に、私の次の代がチェックしなければならないことになるのであろう。
 
 又、照明に関して、長屋は、全体的に黒っぽいので、夜間、特に寂しげに見えた。それで、ライトアップをしようということになり、塀の軒裏と一階の三角形の屋根裏を照らすことにした。そして、電気代は、それぞれの入居者のメーターに繋ぐこととし、その維持費が、できるだけ安くなるように配慮した、1軒で8wの蛍光灯2本と9wの省エネ電球1つとで合計25wでのライトアップとなった。実際に点灯してみると、これが、想像していた以上に、昭和モダンというに相応しい長屋の夜の雰囲気をかもしだすこととなった。長屋のライトアップなどめずらしい試みではないかと思う。道往く人たちは、何事が起こったのかという感じで、見上げて通り過ぎていく。 



④ ガスメーターの移設工事   

24-3-4-4玄関には、電気のメーターの反対側にガスのメーターが、取り付けられている。美しいという感じはないが、見苦しいものでもなく。建築当時の70年前、既にガスの風呂が設置されていたと聞いていた。だから、あっても良いかと考えていた。しかし、玄関をできるだけ、すっきりさせるにこしたことはないということで、ガスメーターを隠そうということになった。
 ガスのメーターの検針は、最近、マイコンで電話回線を通じて検針できるので、特に表に出ていなくても良いということであった。しかし、震災等の時は、大元のバルブは、自動的に止まるが、再開するときに、各戸のガスが、閉じられているかどうかを点検する必要がある。そのため、メーターについている赤いボタンを手で押せる必要があるという。 
 そのため、塀の内側にメーターを設置し、片手が入るような覗き窓を作ることによって対処できた。


⑤ 手摺と物干場の新設工事

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通りから見える2階の手摺は、70年の風雪に洗われ、壊れかけたものや取り替えられたものがあった。そして、2階の裏の物干は、すべて取り払われており、そこへの出口の扉は、釘付けされていた。
 物干場のところは、今や、ビルの谷間になり、日当たりも十分でなく、物干しとしての機能は、難しいことであるが、物干しは長屋を象徴するデザインであり、また、空調機の室外機置場にもなればということで、復活することにした。
 手摺は、現物が一部残っていたので、そのままの形で再生し、透かし彫りのデザインも復活できた。
 出来上がってみると、手摺と物干しは、想像以上に、長屋の雰囲気をかもし出すことになった。
 道行く人が、その手摺をみて、「長屋でも、透かし彫りのデザインが、あったのですか」と訊ねられ、元のまま復元した旨を伝えた。その人は、この長屋と同じ昭和7年生まれ、70歳という。以前、赤線があった時代の置屋のイメージと重なったのかも知れないと、その後姿を見ながらほくそえんだ。
 この手摺のできばえは、私の予想を遥かに超えたものであった。手摺は、檜の無垢材であり、その接合部には、樫の木を楔形に削ったダボが、はめ込まれ補強されていた。以前にくらべるとゆすってもびくともしないものになっていた。
 この手摺を見て、私はもうだめだと思った。この棟梁は、「そこそこ」とか、「適当に」という言葉が、通じないことを悟った。すると、わたしの口から、「川人さん、気づいた箇所があれば、修理をしておいて下さい。後で精算しますから。」という言葉が、口から滑り出していた。
 一瞬、私は、「しまった。」という想いと、財布を握っている妻に何と言おうかということが、頭をよぎった。しかし、一旦出てしまった言葉は、訂正することもできなかった。
 物干しも檜製のもので、樫のダボが入り、組み立てられており、柱の上には、銅板で覆われていた。こうなると、さすがに、建築のことはわからないという妻も、あのお金でできるの。見積りに入っているのと問われ、後で精算すると約束したことを白状せざるを得なかった。妻は「改修の工事だから、多少の追加工事は、仕方が無いけど。」ということで、終わり、ほっとしたが、それが、いくらになるのか、わからなかった。川人さんに聞いてもわからないということであろうし、それを聞いたからといって、中途で止めるわけには、いかないのであるから、成り行きに任せる以外になかった。



   
⑥ 銅製の樋と屋根の庇    

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銅を使うと、長持ちがするというのは、戦前の銅板が、残っているのを目にしており、経験的に納得できていた。しかし、銅を使うことは、目が飛び出すほど高くつくと、思い込んでいた。
 建設当初は、今のように樋にしても塩ビ製のものは、存在しなかったので、当然銅製のものであった。そして、庇などにも銅板が使われていた。
 だから、なるべく建設当初の姿に戻したいということと、最初、銅が赤く光かるのと、そして、年月を経て、青く変化するのも、味わいがあるということで、気に入っていたので、樋は、銅ですることをお願いしていた。
 築70年で銅自身は、太陽光線に対しても塩ビ性の物のように退化して、割れることもなく、持ち応えていた。銅の寿命は、塩ビ性のものと比べると遥かに耐久性があるといえるが、ただ、その下地などを適切に補修していなければ、その寿命を生かしきれない。例えば、庇の場合、その下地の木材部分に水がまわったために木部が腐食したり、また、枯れ葉などで樋を詰まらせてしまった場合、はずれて使えなくなってしまう。
 この銅板や銅製の樋などの工事が進むにつれ、通りがかりの人から、驚嘆の声を聞き、親しい人からは、「借家で銅を使うとは、何を考えているのか。」ということを、言われた。それに、銅のことをアカガネともいうことを聞かされた。そういえば、銅のことをアカと言っていたことを思い出した。そして、赤いからアカというのだと気づいた。
 銅の使用については、当初、銅以外のものを使っていれば今まで持たなかったといわれ、銅の使用については、経済的にも、「どうなのか」ということを、比較してみることも必要だと思った。
 昔から「安物買いの、銭失い。」という言葉があるように、いいものを長く使いこなす考えも大切であろう。
 今回の改修は、元々、銅が、使ってあったところには、銅を使ったが、さらに、  
 2階の板壁と1階の屋根瓦の交差部分にも、雨水が入り込み下地の木材を濡らさないように、銅板をその下に敷き、樋まで導くという改善を行ってくれていた。
 銅を使ってみて、初めてわかったことだが、その色や艶が、日に日に変化し、周りの景色になじんでいくということであった。昨日の色と今日の色とが、明らかに違うということが実感できた。




⑦ 焼杉の板塀  

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外壁の大部分を占める板塀は、ほとんどが当初のまま残っていたが、板が風化していた。
 それに、妻側は、すべてブリキの波板になっていた。当初の設計図面では、板張りであり、そのブリキが、当初からのものかどうかよくわからなかった。私の母親が、嫁いだ昭和16年以降、改修した記憶がないというので、ブリキに替えたとしたら、建って10年以内に替えられたことになる。近隣の長屋をみても、ほとんどが、ブリキ張りになっていたが、板張りのものも残っていた。しかし、その板は、反り返り、あばれてしまっている。妻面には、ほとんど庇というものがほとんどなく、直接、雨にうたれるため、そのようになったと考えられる。
 それにしてもそのブリキ板は、錆がまわっているとはいえ、一応、60年以上もっている。職人さんは、「昔のブリキは、今のトタン板と違い、混ぜ物がないので、長持ちがする」とこともなげに言った。「昔の物の方が良かった」ということばは、時代とともに材料が改善さているという、私の考えは、私の思い込みであったのかと思うと、不思議な気がしたものである。
 妻面もブリキを撤去し焼杉にするということにした。
 焼杉と言っても、黒に近いものから、木肌に近いものまで数種類の濃さがある。どの濃さにするのかというのは、それぞれの好みもあり、なかなか難しい問題であった。
 その色を決める際、改修工事に取り掛かった平成15年は、阪神タイガースが18年ぶりに、星野監督の元でセリーグ優勝を果たし、大阪を始め関西が沸き返った年であった。その時に、改修工事をするのであるから、私は、当初、杉板の黒いのと木肌色のとを、交互に貼り、縦縞の長屋にしようと提案したが、賛成したのは、トラキチである娘婿のみで、家族を含め、総スカンであった。「そんなことをしたら見られませんで。」という大工さんの一言で、縦縞の長屋は、あっさりとあきらめた。
 そうすると、今度は、どの色にするのかということになる。
 見本で比較して見ると、一番濃い黒の焼杉は、通りが暗い感じになりはしないかということと、現在の板塀は、こげ茶であり、余りにも変わりすぎるという感じがした。
 しかし、建設当初は、焼杉といえば、本当に焼いたままのもので、黒かったのではないか。今の色は、それが、剥げてこのこげ茶色になったのでは、ということになった。  
 元に戻すということと、若者の意見も聞き、濃い黒のものを選択した。
 決めてみると「粋な黒塀 見越しの松・・・」という春日八郎さんのお富さんの歌詞が、囁いているような気がした。
 見本で見ると、黒という感じであったが、貼ってみると木目が浮き上がり、案外明るさも感じられ、落ち着いたものとなった。それは、「昭和モダン」を感じさせるものとなった。
 
私のミスが、トラの縦縞を実現する。

 北側住戸の裏庭の板塀は、傷んでいた。このやり直しは、入居者が決まってからと思っていたが、周りが綺麗になってくると、ほって置けなくなったのと、借り手の印象も悪いということで、改修することとした。  
その板塀の改修の打ち合わせで、路地部分は、風通しが良いように、板を交互に貼る透かし塀にすることとした。外側は、焼板の黒い部分を、屋内側は、焼いていない部分とすることによって、明るく清潔感をだしてほしいと依頼した。
 出来上がったのを見て、一瞬、ギクリとしたが、次の瞬間、ほくそえんだ。
 外から見ると、外側の板は黒い焼杉板であったが、内側の板は、両面素地の板を交互に、貼ってあった。私のイメージでは、外側は黒い焼杉で、前面黒塀ということであり、内側は、前面素地の板塀が見えるというつもりであった。それが、交互に焼杉板と素地の板を交互に貼ったため、縦縞の塀が出現することとなった。ここに、阪神タイガースの優勝記念の片鱗が、期せずして出来たことになった。
 また、この板塀は、通りから見ると、その隙間から、裏庭の部分は、見えるが、室内までは、見えないという微妙な隙間になっていた。



 
⑧ 漆喰壁    

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板塀と軒との間の漆喰壁の色決めが必要であった。建設当初の色は、現存している壁から見るとかなり濃い鼠色であった。
 それを、そのまま使うと、建物全体が、余りにも暗い感じになると感じられ、又、ライトアップをしようと考えていたので、照明の効果がでにくいと思われた。
 かといって、白色ででは、どこかの酒蔵のある街並みのような感じがし、また、黄色ぽい土色では、良く見慣れた町並みとなり、大阪らしくないように思えた。
 結局、薄い草色のグレーとした。2階部分の壁の下塗りができ、落ち着いた色合いの壁が出現した。この下塗りままでもいいなあと思っていると、そのままで、2階の足場がはずされてしまった。仕上げは、どうするのかと思っていると、それが仕上げであった。もう少し、グレーの色が濃いものを選択したつもりであったのだが。
 1階の塀が仕上がってくると、選択した色は、この色だと気づいたが、1階の部分と2階の部分とでは、周りの明るさによって、これ程、感じ方が違って映るものかと思った。




⑨ 塀の中の竹細工の窓    

37-3-4-10外塀の中に竹細工の窓があった。周りの壁がすべて塗り直させるので、この竹細工の部分をやり直そうとしたが、そのような細い丈夫な竹が見つからないということであり、又、防犯のことも考え、格子窓に変更した。







⑩ 基礎部分の巾木    

38-3-4-12基礎部分は、元々、洗い出しであったので、これも、美浜の石の洗い出しで改修することにした。洗い出しの現場を見るのは、初めてであり、その見事さに驚いた。霧吹きをすると、表面のセメントが、洗われ、美浜の石が見事に現れるのには、なにか手品を見ているようであった。あたかも、宝石の原石の表面を磨き、中から光り輝く宝石が顔を現すようであった。
 巾木と板塀との取り合いは、かなり話し合った。板塀は、年月が経つとその下の方の板が変質しているのが、よく見受けられる。吹き降りで、塀に当った雨の影響で変質することが考えられるが、それに加えて、その雨が巾木の部分に溜り、それを木が吸い上げることも考えられた。だから、できるだけ、雨水が巾木に溜まらないように、壁と巾木との間に数ミリの隙間をあけ、それらの縁を切ると同時に、巾木の上部に勾配を取り、雨水が、内部に入りこまないようにしてくれた。



⑪ 犬走り部分の植栽    
巾木の外の犬走りの部分は、モルタルで固められていたが、外構に緑が欲しいということで、玄関の両脇の犬走のモルタルをとり、竜のひげを植えた。巾が20cm程のところではあるが、なかなか全体の雰囲気を盛り上げることができている。
しかし、この辺は、餌付けされた野良猫が、うろうろしていた。猫にとっては、「格好のトイレをつくってくれた」ということになりはしないかという心配があった。
その心配は「毎日、掃除すれば、済む」という一言で、「それもそうだ」ということでその時は、納得したが、そんな、生易しいことでは、なかったということを、知るのにそう時間はかからなかった。

⑫ 玄関の工芸品の素戸

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41-3-4-12現状では、玄関の素戸は、1軒だけ木製の素戸が残っており、玄関のたたきの部分が見通せていたが、残りの3軒は、ガラス入りのアルミの引違戸に替えられていた。    
 契約時点では、木製のものだけを取り替えることにしていたが、工事が進んでくると、「ここまでしたのであれば、」という妻の意見で、すべてを取り替えることにした。
 木製の物が残っていたので、原形に戻すのであれば、それを復元することになるのであるが、棟梁がその素戸を見るなり、「この素戸は、木の材質から見て、当初からのものではないだろう」ということであった。
 それでは、「素戸をデザインしては、どうか」ということになり、私が、スケッチを描くことになった。
 今回、70年ぶりの「平成の改修」は、基本的に建設当初に戻すということに主眼をおいたため、特にデザインするということは、なかった。
 いざ、デザインするとなると、素戸なんって、分かりきっているようであったが、なかなか困難なことであった。インターネットで調べると、単なる棒の組み合わせであるが、無数に変化することが、分かった。既製品の中から選択することに慣らされている私にとっては、楽しみだけでは、なかった。実現しなかったが、縦縞の板塀のように皆から、総スカンになるのも、困るし、かといって、既製品と似たり寄ったりでは、折角、デザインをしたという意味がなく、面白くなかった。
 そんな時、ふと、これまで、何十年にも亘って住んでくれた住人、親から子へ引き継がれた長屋、私の子供の頃、この道で、ビー玉やべったん、かくれんぼ、トンボ取りなど、近所のガキ大将を中心に、汗をたらしながら、暗くなるまで、遊びまわっていたことが、脳裏に蘇えった。
 隣近所で、人の和が、生活の中心であった。「和」ということが、一番、求められているということが、脳裏に浮かんだ。和は輪に通じ、円満な人ということで、素戸に円をデザインしようと、思いついた。既製品に無いデザインであるということも気に入った。 
 しかし、スケッチをしてみると、円の端の方は、構造的にどう支えるのかという問題があった。
 だが、そんなことは、建具屋さんに、任せることにした。縦桟だけのスケッチをし、横桟は、お任せであり、どんなものが、出来上がるのか楽しみであった。
 しかも、4軒、それぞれ一つの円を分解し、組み合わせたもので、4種類のスケッチをした。
 同じデザインにしなかったのは、この4軒長屋の欄間などは、住戸毎にすべて違っていた。当初から、それぞれ、個性を持たせており、それを見習うことにした。
 また、北側の住戸の裏庭の素戸は、山と円をデザインしており、富士山と月をイメージしたものであるが、どううつるであろうか。そのできばえが、楽しくもあり、不安でもあった。

 出来上がってきた建具を見て、驚いた。イメージしていたものを遥かに超えていた。建具というより工芸品という感じであり、私が、細部のデザインまでしなくて良かったと思った。私が、細部までデザインすると、私の見てきたものの範疇でしか思いつかないため、考えつかなかった組み方が使われていた。街中では、縦桟に横桟をとおすという貫の形で入っているものしか目にしていなかった。しかし、今回はデザインが通常と違うためか、縦桟に横桟が、井桁に組み込まれ、それらが一体化し、丈夫なものとなっていた。この素戸を作るのに、一つずつ原寸の図面を引いて、製作したため、通常の倍以上の時間がかかったという。

 娘たちも、その建具を見て、一言「かわいい」と発し、若者の感性にも合うということが分かり、このような建具が、流行りそうな予感がし、うれしくなった。

 これで、外装工事が、完成したが、特に感心したのは、毎日、工事が終わると周辺道路なども綺麗に掃き清められていたことだ。仕事の良し悪しは、このような心遣いが、できるからこそ宮大工と言われるのだと感じた。

 しかし、外装の改修工事、特に、屋根をやりかえる時の、土埃などは、ひどいものであり、近隣には、大変な迷惑をかけることになった。機械で潰すのであれば、水をかけながらできるが、職人さんが、屋根に上り工事をするので、水をかけると足を滑らすことになってしまうからである。

 


⑬ 工事費の精算  
 3月中頃には、工事が終わり、工事費を精算する時がきた。昨年の12月の始めから、お正月をはさんでではあるが、4ヶ月近い工事であった。それより遅れて、お正月に、着工した近くのプレハブ3階建て12戸のアパートが、竣工していた。
 しかも、この長屋の改修に、日曜日以外、土曜日はもちろん祭日も休まず工事をしてくれていた。職人さんが、多いときは、10名以上、少なくても4,5名は、現場で働いてくれていた。
 平均6人の職人さんが、80日としても、480人工である。1人当たり、日当と材料費で、3万円とすると1440万円、それが4万円とすると1920万円となる。いくらの追加工事が発生しているのか、その工事費を知るのが、何となく恐ろしい気がした。職人さんの手間賃に材料費、それに会社の経費を積み上げると、3万円ということは、到底考えられないことだった。
 そして、運命の精算の日、私の前に、差し出された追加工事の見積額をみると、表紙に1100万円の金額が記されている。一瞬、契約金額1100万円の倍ではないか。ある程度は、覚悟していたが、「ああ、そうなりましたか。」という私の震えた声が、私の耳の奥でこだましていた。
 しかし、その金額の内訳をみると、前払金500万円を差し引いた、残額の支払い金額として、1100万円が記載されていた。  
 当初、契約時に1軒当り300万円を覚悟していたが、それが、400万円になったということになる。初めに、1600万円の見積り金額であったら、おそらく改修工事を止めていたであろうと思う。それは、その時点では、今の改修後の雄姿が、私の目に映らなかったからだ。
 娘の、「お金をかけただけ、それだけ良いものができれば、それだけの価値はある。それだけの技術力が無ければ、いくらお金をかけても良い物はできないことだから、良かったんじゃない。」という言葉に胸のつかえがとれた。
 それに、1600万円という数字に驚きを覚えた。この4軒長屋を70年前に建てた時の建設費が16000円であり、外装の改装費が、期せずして、丁度1000倍ということになっていた。


⑭ おまけの水道工事    
3月も後半となり、年度末を迎えていた。長屋の改修工事も一段落し、ライトアップの効果に悦に入っていると、足元の道路に白色のスプレーで、ガスの引き込み位置を大きく表示していた。まさに見苦しい。
「ええ、何でや」と怒りがはしった。が、次の瞬間、気にしていたことが、脳裏に浮かんだ。というのは、犬走りの所に、ガスの引き込み位置を示すために、大阪ガスのマークが入った鋲が、打ち込まれていたのだ。ところが、その部分のコンクリートを撤去し、竜のひげを植えたときに、そのガスの引き込み位置を復元できていなかった。だから、現場では、その位置がわからない状態であったので気になっていた。「業者さんに、ガスのマークを復元するように」言っておけば良かったという想いがあった。
しかし、そのスプレーは、ガスとは、関係の無いことが、すぐに分かった。ガスの引き込み位置は、すべて、詳細な地図に落としてあり、現地でわからなくてもすぐに復元できるということであり、「中座の事故」以降、特に注意しているという。

 それから、2日程すると、水道工事のお知らせのチラシがポストに投げ込まれており、しかも、工事の予定の日付がぬけていた。土曜日であり、業者さんの連絡先に電話をすると、20分もしないうちに、訪ねてくれ、「留守宅ばかりだったので、とりあえず、工事のお知らせ文書を入れさせて頂いた」とのことであった。
 スプレーでのガスの引き込み位置の表示は、水道工事のためのものとわかった。 聞くと、「水道本管が、建設当初の鉛管の物であり、4軒長屋の水道管が、直列の形で入っているため、1軒でトラブルを起こすと他の3軒にも影響することになる。だから本管を道路の中央に通し、そこから各戸に引きなおす工事である」と言う。
 その水道本管は、昭和7年6月に敷設されたものであると聞いて、水道の鉛の本管も70年間の歳月、1日も休むことなく、不平ひとついうことなく、飲料水を送り続けてきたことに気づき、改めて感動した。その間、戦前・戦後の東南海・南海の地震、最近では、阪神淡路の大震災にも持ち応えてきたのである。その間、トラブルが起こって困ったと言うことも聞いていない。たいしたものである。                 
 水道のメーターが、宅内に入っているので、検針のため、できれば外部へ出してほしいと言う。当然のことなので、了解をしたが、そのメーターボックスをつけるとすると、せっかく植えた竜のひげを撤去し、それに、側溝の縁石を割らなければならない。しかも、このメーターボックスが、口径毎に統一規格で一手販売、取り替えられた13mmの口径のものは、その蓋がプラスチック製の安物臭いものしかないという。だから、この蓋に植木鉢を置くなどし、いかに隠すかという発想になる。昔の方が、鉄製で重厚感があり、隠すと言うことまで考えないで済んだかも知れない。
その時、電電公社時代の黒の電話しか無かった時代のことを思い出した。役所が関与すると、どうしても公平性、平等性という建前の基では、デザインや質は、安くするということが、優先されるために、一手販売で機能さえ満たせばいいということにならざるを得ないのであろう。そして、その方が、職員にとっても、いろいろ考えなくて楽であるということが重なり、役所の中から発想することは、困難であろうと思えた。
 たいした問題では、無いという感じもするが、特に、店舗などの場合、追加料金を払ってでも、良いものにしたいという人もおられるのではないか。その蓋のデザインや大きさが選択できるようにすれば、それが、誇れる物となり、日陰の身から、日の当る蓋に生まれ変わるのではないかと思う。
    
 妻に水道工事の話をすると、「工事費を出さなければならない」と思っていたので、「水道局の工事なのでお金は、出さなくていい」というと、安心した表情になったが、次に、すかさず「3月末の、今頃、急にするのは、予算が余ったからか」と役所勤めの私に訊ねられた。
「役所は、単年度毎に予算を組むことになり、緊急性の高いものから、工事を行うが、その年度大きな事件が起こらず、年度末に余裕ができれば、順次、古いものから整備していくことになる」と言う説明をしたが、まだ不信そうな顔をしている。
そこで、さらに、「役所は、工事を発注しようがしまいが同じ給料が支払われる。それにも拘らず、年度末に頑張って、必要な工事を、出してくれると言うことは、有難いことで感謝しなくてはいけない。特に、今回の場合、これから入居者を決めようとしている今の時期に、改修してもらえるのは、願ってもない「天の計らい」とも言えるものである」と応えたが、答になったのかどうか。



⑮ おまけのおまけの舗装工事
前の道路は、舗装されてから30年近くなる。自転車・歩行者専用道路となっており、その上、通学路に指定されている。そのためかアスファルト舗装の上に、緑色で円などの模様が、描かれているが、それも剥げかけていた。何とかならないかと思っていたが、自分の所の長屋が登録文化財になったからといって、その前の道を舗装しなおしてくれと頼みに行くわけにもいかずそのままにしていた。
 長屋には、石畳の道が似合うと思ったが、お金を出すといっても、認めてもらえそうにない話であった。
 そのような思いが募ってきた時に、今回の水道工事が飛び込んできた。工事で道を掘り返した後、道に絆創膏を貼りたくったように掘削部分だけを補修したものは、よく見ることであり、工事の話を聞いた時、どの範囲まで舗装してくれるのかということが気になった。そこですぐにそのことを訊ねるとすぐに携帯電話で、本社に連絡をとり、「道路の全面を復旧することになっている」ということを確認してくれたので。胸をなでおろした。  
期せずして、水道局が、長屋の道を舗装し直してくれることとなり、余りにも自分が気にしていたことが、次々に実現するのに不思議な気がした。 
       
   
 一応、工事が完成したが、次の難問が、待ち受けている。この長屋を誰に使っていただけるかと言うことである。いろいろな人から、工事中に、ぜひ貸してほしいという人もあったが、結局、契約するまでには、いたらなかった。
 長屋も商品だから、完成品として、売り出した方が、その価値に応じた評価となるので、良かったといえるが、このままでは、「仏つくって魂いれず」ということになる。  
まず、この4軒長屋をどんな用途にするのか。住宅やグループホームなどの住宅系もいれるのか。飲食店や店舗などの商業系だけでいくのかなどを、決めていかなければならない。
 この長屋にふさわしい使い手に、めぐり合うことを願わざるを得ない。               
     
な、な、何じゃそれは? 
道が下水敷とは、どういうことじゃ?


 長屋の前の道、道幅は、3.6mであり、側溝をいれると4mあるが、大阪市の基準は、道幅に側溝を含まないという。3.6mということは、今の建築基準法の最低限の4mを少し切っている。この道の舗装のやり替えについて、ツルツル・ピカピカの舗装より、水が滲みこむような感じの舗装のほうが、この長屋に似合うように思えた。又、現在は、アスファルト舗装が見直され、雨水を地面に戻せる舗装の方が、いろいろな点でメリットが、あると聞く。しかし、今回の場合、路盤からやり直す工事ではなく、まして、道路サイドで無く、水道工事に伴う、現況に復旧工事である。しかし、同じ遣りかえるのなら表面だけでもツルツル・ピカピカでない方がいいと思い、無理を承知で尋ねてみることにした。
 早速、電話をしてみると、「それは、透水性舗装といって、国道などの車道でしか認められていないのでできない」という返事であった。「そんなにたいそうな舗装でなく、密にアスファルトを入れないで、若干空隙が、あるようなものにならないか」ということであったのだが、「そんなことをすれば、長持ちしない」ということで片付けられた。しかし、舗装には、どんな種類があるのかなど興味がわいてきた。

 舗装の問題の前に、この道は、法律上、どういう道なのかということが、気になりだした。というのは、この道で、家の建っている側の幅員のうち、それぞれ3尺は、宅地側の所有者のものであり、その真ん中の6尺が、公共の部分であるという。そのことを知ったのは、電電公社がNTTに変った時のことである。NTTになってから「私有地に、電柱を立てているので、その借地料を毎年支払う」ということを、言ってきたからである。道路に電柱を立てることは、自由にできるとばかり思っていたが、そうではなかったのだと、その時、初めてわかった。
 そんなことが、あったものだから、大阪市に建築基準法でこの道の解釈を聞きにいくと、「42条2項道路」ということであった。「2項道路」とは、建築基準法ができた昭和25年以前からあった4m未満の道に面して建物が、建っている場合の道のことを言うとのことである。この規定がなければ、この長屋の敷地が、基準法でいう道路に面しないことになり、長屋の建て替えが、できなくなる。そのための救済措置として、法律に設けられ項目であるという。
 ということで、この道は、私(わたくし)の道であり、公に認定された道でもないということである。「へェー」という感じであった。これまで、道路の形状から見て、認定道路とばかり思い込んでいた。思い込みとは、恐ろしいものである。
 そして、道路の舗装に関しては、その道を管轄している工務所が西成区あるのでそこに行かなければ分からないという。淀屋橋から西成区に足を運び、舗装の種類について聞くと「道路の舗装は、その道の種類によって基準が定められているので選択できるものではない。だから、例え、お金を出すからと言われたとしても、舗装の種類を変更できるものでは、ない」との先制パンチをうけた感じであった。
 ここでも、行政の「公平性」という名の下での均一な基準に基づく街づくりに対する姿勢を感じた。オンリーワンの街づくりの姿勢とは、程遠いという感じである。 
 次に「実は、この道は、認定道路とは違うと言われている。」と問いかけると、「認定されていない私道に、税金をつぎ込むことはない。大阪市が管理しているのは、認定道路だけである」との返事である。「では、なぜ、大阪市が、以前に私の家の前の道を舗装してくれたのか」ということを聞いたが、返事がなかった。そして、土地の所有関係などを説明したが、「そのようなことは、南港のWTCのビルにある本局に行ってくれなければ、ここでは、わからない」ということであった。今度は、本局との話となった。
 本局との電話の話で、私の疑問が解明できた。
 まず、私道でなぜ舗装できたのかという疑問であるが「サービス舗装といって、一定の公共的役割を持っている私道で、周囲の人から要望があれば、一回限りという約束で、舗装を行う」ことがあるという。「それは、舗装という工事を行うだけであって、工事が終われば、その舗装部分は、その道の所有者に帰属し、大阪市が管理を行うわけではない」という。従って、「舗装が痛んだからと言って、やり直してくれと言われてもできないし、その道路の管理は、あくまでその道の所有者にある。」という。
 今まで、気にしていなかった道の管理責任が、私にあるということに肝をつぶした。
 私の家の前の放置自転車は、私が、処理しなければならないということになる。そして、その放置自転車や道路の穴ポコが原因で事故が起これば、私に責任が生じることになるのだろうか。自分の家の前の道は、自分で責任を持つのが、至極当たり前であろうが、これまで、そのことの自覚がなかったことに恐ろしい気がし、反省もした。
 それにもうひとつ、驚いたことは、道の真ん中の6尺の部分は、下水敷だと言う。これにはびっくり。長屋が建ったときから下水路の痕跡すらないところである。「大正から昭和の始めにかけて、耕地整理の事業をしたとき、水路の土地を道の部分に置き換えたものであろう」ということである。70年以上も昔の事業で実態と違う手続き上のなごりが、今だに残っているということにびっくりした。さらに、驚いたことに、この下水敷きという名の道の真ん中部分は、平成17年度に国から、大阪市の水路管理者に引き渡されるという予定になっており、そのことについては、淀屋橋にある担当部局に聞いてほしいとのことである。
 
 さらに、建物からそれぞれ3尺の部分の管理の責任が発生しているということであれば、例えば、その部分に石畳を敷いてもいいのかと尋ねると、道を通行止めされては、困るが、管理するのは、その所有者であるから、自由であるという。ということは「大阪市が関与できる問題ではないので、土地の所有者の責任でどうぞ、そのことによる苦情を市に持ち込まれなければいい」というのが、本音の答えであろう。






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